子どもが自主的になるには? 大人は少し、だまっていよう!
ママというのは、どうしてこうも口出しが多くなるのか。
失礼、ママと言ってもたくさんいます。
とりあえず、私の場合、です。
朝子どもたちが起きたら(平日はすでに私はいないのですが)
「おはよう。」の次に言うこと。
少しして子どもたちの様子を見て
「トイレに行っておいで。」
「手と顔を洗っておいで。」
「寒いなら、上着着ようよ。靴下もはいていいんだよ。」
一日の中で
「◯◯は、やった?」「◯◯、やってる!」「◯◯した方がいいよ」
あれだめ、これして、こうしなさいのオンパレード!
こうなると、子どもたちは、だんだん話も聞かなくなってきます。
また何か言ってる。。。知ってる。。。いつものこと。。。
夫にも時々「ママ、言い過ぎ!」と注意されます。
私も知ってる。。。笑
他のお友達と遊んだりする時、他のママさんがそうやっていることには
もの凄く気がつき、気になるけど
自分も同じことをやっているんですよね。
すべてママが先に口出しをしてしまっていては、“自主的”も“主体的”も
“考えて行動する”もあったものではない。
学校で、そんな子どもを育てるには?なんて取り組んでいるのに
一番の原因は家庭(口うるさいママ)にあるかも、と思うわけです。
では、なぜ口うるさくなるのか?
思い当たるのは
一つ目、何もできない小さい頃から、手を出し、声をかけながら(これが、今じゃ口を出しながら?)一生懸命育ててきているから、がある。
朝、「トイレに行っておいで。」と言うのは、オムツを外した頃、
最もおねしょ率が高くなる寝起きの瞬間、いかにトイレに連れていくかに
必死だった。
朝一番は、おしっこが必ず出る。漏らされては困る、からだ。
そして、朝一番にトイレに行った方がスッキリしない?という自分のやり方を伝えたいからだ。
でも実際子どもたちは、もうおもらしはしない。
トイレくらい、行きたくなったら行く。(いやでも、まだ何かと我慢してるんですよね。子どもは、ぎりぎりまで行かない傾向にある。)
本人の好きにさせておけばいいのだ。
二つ目は、子どもは時計を見て動かないから。
◯時に家を出るとか、◯時に寝る、と決まっていても、
「それまでに◯◯を終わらせておこう」という感覚はないんだ。
そして、それが終わっていなくても特に困らないんだー!!!
だから、ママが困って口を出す。子どもは、ママの助けがあってなんだかんだできる。
困らない。むしろ、やった方がいい、できなければいけないなんて思っちゃいない。
できなくても何とも思っていない。
もう、ここですね。
この感覚の違いがあるから、つい口を出してしまう。
困るまで放っておけばいいじゃない、と思うけど、、、彼らは、困らないんですよね。
困るのは、ママ。
これはもう、ママも困ること覚悟でとことん放っておくか、
あとのフォローが嫌だから、ママが困る前に口を出すことで今はよしとするかの
どちらかになるのかな。。。
三つ目は、外に出たときなど、そしてお友達がいるときなどは、ついいつも以上に
他の子に迷惑をかけないようにと意識してしまうから。
ママは、宇宙人大歓迎でも、他の子や他のママはそうとは限りませんからね。
さて、この三つの原因から何ができるか。
1、できることは、声掛けなしで本人に任せてみよう。
小さい頃からの延長で声かけしていることがある。
身につけて欲しいマナー(トイレの後は手を洗う、とか。なぜ身につかないのか•••)は教えながらも、できることは本人に任せてみよう。
2、時間を守って欲しければ、事前に手順を確認する。
相手に考えさせる声かけをする。
実は、「時間の感覚がない」「時計を意識して動かない」というのは、担任している小学3年生の保護者からも「我が子の困っていること」で多く取り上げられます。
そのうちできるようになるのかもしれないけど、小学3年生でもまだまだ自然とは
身についていないことが多いようです。
話は一度それますが、私は、時計を読むことも生活の中で自然と身につくものだと
思っていました。
大人も教えやすいし、時計はいつも近くにあるし、時間を中心に動いているからです。
なので、小学1年生で学習する時計の読み方も、3年生学習する時こくや時間の問題も
学習する前から、すでに多くの子ができていることだろうと捉えていました。
しかし、実際は違いました。
何より、たくにいができていませんでした。
ひらがななどは、誰よりも早く覚えたのに、時計は教えてもいまいち興味を示さず
算数で学習するまでに時計が読めてはいなかったのです。
やはり、時間に関する感覚、興味関心がもともとない??
誰もが自然に身につくわけではないんだなと実感させられた出来事でした。
話を戻して、では、やはり時計を意識して動いてもらうには、やはり訓練しかないかなと。
全く声をかけなかったらどうなるか、どこまで声をかけなければ本人が困るかを
試し、
困ったらどうすればよかったか、早くやるというのは◯分前くらいにやればいいと思うかなどを一緒に考えてみようと思います。
やりなさい、そろそろやる時間だよ、ではなく
事前に「どうする?どうした方がいいと思う?」と声をかけてみようと思います。
どうせ口を出すなら、相手に考えさせる声かけにしよう!
3 誰かを傷つけたり迷惑をかける行為には、声をかけてやめさせる。
ここは絶対ですね。
その代わり、それ以外のことはとやかく言わない。
そして、いつも私が夫に注意されることですが(私、夫に注意されすぎ?)
「本当にやめさせたいなら、ちゃんとやめさせよう!」
です。
私に多いのが、注意するものの、子どもたちが聞いていなくてもそのまま
ということです。
もはや、私の方も子どもたちが聞く耳をもっていないことを承知で声だけかけている
という状態になっているのです。
それを許しているんだから、そりゃ子どもたちも聞き流しますよね。。。
本当に聞いて欲しいことは、子どもたちと向き合い、しっかり伝える。
理解したか、できることなのか確認する。
聞き流してもいいくらいのことは、始めから言わない!
ママは、子どものことに関しては、少し黙っていることを意識する。
(目指すはおしとやかママをイメージ?)
声をかけるなら、かけ方の工夫をする。
いつも思うのは、
子どもが変わらないこと(うちの子、いつまでたってもやらなくて〜、できなくて〜のようなこと)は、
まずは、それを変えたいと願うママのやり方を変えるしかない!
その変える作戦を楽しまなければ!!
作戦を立てたり戦略を練ったりする社長?営業マン?冒険家?おしとやかなお姫様?
何でもいい。何になればママも行動を変えやすい?
何かになりきっていこう!
そして、、、やっぱりこれって仕事でも一緒だなぁ。
極力喋りすぎないこと、に繋がるなぁ。
話すことは、厳選すべし!
だな。
心は広く穏やかに。