ママと先生、どちらも生かせ!ママ先生の自由帳

仕事(先生)も育児(ママ)も楽しみたい!毎日笑って過ごしたい!働きながらの子育ては、最幸の挑戦だ!と楽しんでいます。今しかできない、子育てをしながらの仕事や育児のことなどを思ったままに書き留める備忘録です。

《仕事》苦しんで行き着いた先。

学級経営案や自己観察書などを書くとき、

つまり、

仕事での一年の自分の目標を掲げるときに

“個に応じた対応ができるようにする”

という内容がいつもある。

あれが苦手なあの子には、こんな支援を、

あの子には、あんな支援を、

と個に応じた引き出しをたくさん持つようにするのが目標だ。

 

実際それがうまいなぁと尊敬するベテラン先生がいらっしゃった。

その方は、「個々にどんな支援が必要かを考えるのが好きだった。」

と異動されるときにおっしゃられていて、感動した。

 

だけど、私は毎年「今年もたいして対応できなかったなぁ」と反省するばかり。。。

具体的にどんなことをすればよいか分からない、というのもあるが

個に応じた支援は、それなりの準備を要するので、大変なのだ。

毎時間の準備はできなくなり、いつの頃からか機能しなくなってしまう。

簡単なようで難しい。

そんな思いをいつも繰り返していた。

 

そして、今年は1年生担任。

きた。

私、試されているな・・・と思った。

1年生といえば、1から教えていかなければいけない。

ひらがなも読めない子もいる中で、分かりやすく伝えなければいけない。

言っただけでは分からない。

しかも、たくにいやいちぼうを見ていて思うが、宇宙人のような彼らを

どうすればまとめられるのか、、、、。

自信がなかった。

もともと小さい子にあれこれ細かく細やかに支援するのが苦手なのだ。

 

でも、これを乗り切れば、今度こそ引き出しが増えるはず、とは思った。

 

そして、実際、苦しんだ。苦しんでいる。

「もういや」とか、「仕事やめたい」とかではなく

「どうすればいい???」で頭を悩ませまくり。

 

私のクラスの子どもたちは、どうも1年生特有の“何でもやってみたい!頑張ります!!!”“何でも張り切っちゃう”みたいなのがない。

いや、あるけどそのパワーよりも

“えー、嫌だ”“ん?何?よく分かんない??”

のオーラをもった子も多い。

初めの頃も

歌やゲームをやろうとしても、素直にやりたがる子は半分。

面倒という子もいる。

競争などをしても、友達を待たせていても焦らない、気にしない子が多数・・・。

 

個性が強過ぎて、個性が豊か過ぎて

私の中で「どんなクラスか?」と聞かれても「こんなクラスです。」と全くひとまとめに表現できないのだ。

「明るく元気?・・・でもない。優しく素直?・・・でもない。」

明るくて、元気で、優しくて、素直な子もたくさんいるけど、

なんだろう、、今まで経験してきたように、全体でそう感じる雰囲気がないのだ。

クラスのよいところは?と聞かれても、あまり見つけられなかった。

こんなこと初めてで自分でもショック。 

 

 

ルールを守らない(廊下や教室を走る、走る。友達に手を出す、など。)

危険行為につい大声を出すこともしばしば。(当たり前だけど。)

昨年は大声を出すなんてほぼなかったのに・・・と今までと違う自分に落ち込む。

危険行為は子どもたちにも「先生が叱るポイント」と伝えてはあるものの

だんだん、うまくいかないことにイライラし、ついマイナス発言を子どもにしてしまうことも。

叱っている(怒っている?)私を見たのか、他の先生方からも「今までのさくらっこさんとイメージが違う。」(どういう意味かは深く聞かなかったけど。涙)と言われ落ち込む。

学校での対応で疲れ、我が家の宇宙人ボーイズの話ややんちゃを受け止める余力が

なくなって、家でもついイライラして落ち込む。。。

 

大声を出して叱る。

思い通りにいかせようとして、つい余計な言葉で動かそうとする。

私が一番嫌いな人、なりたくない人のパターンに陥っていく。。。

 

そんなにダメなクラスか?

いや、全くもって崩壊しているわけではない。

こどもたちは皆笑顔で、元気な挨拶をしながら教室に入ってきてくれる。

私の中で、掴めていないというか、しっくりこないところがたくさんあるだけだ。

一人ひとりの顔やいいところならたくさん見つかる。

面白い人材はたくさんいる。

公立小学校ではない、集団生活ではない、

もっと他のところなら輝けるかもしれないのに・・・

なんて、自分の腕のせいにしないで理由をつけようとしてみる。

いやいやいや、「公立小学校は、あれこれ自由がなくて行きづらかった(生きづらかった)」なんて思われるのは絶対嫌だ!

その子を活かせる人がいるなら、それは私でありたい。

何より、私、面白いことが、面白い子が大好きじゃないか!

どんな子も“面白い”と感じてきたではないか!!

色んな子がいることが当たり前だし、それがより個性豊かになれば願ってもないことだじゃないか!

 

あぁ、まさにこれが多様な社会で、いつもまとまるわけではないし

まとめて見なくていいということなのかな、と最近ようやく思い始めた。

無理して一つにしなくていい。

(ゆっくり時間をかけてクラスを創っていくこと。頭では分かっているのに、焦ってたなぁ。)

個が輝いて、認め合えていればいい。

 一人ひとりがみんな楽しそうで、安心して学校に来れているならそれでいいし、それが一番大事。

 

私のクラスは、“個性豊かで面白いクラス”という言葉が一番しっくりきた。

 

しかし、手立てはどうする?

時間は守れないし、おしゃべりは多いし、全体指導が入らない子も学習の遅れがある子もいる。話もなかなか聞けず、集中力も持たない。

一年生なんだから、当たり前じゃん!と言われればそうだけど、

一般的に言われている方法は、

片っ端からやっているつもりだけど、いまいち。

どうしてそうなる?どうすれば動く?

本当に日々考え続けている。

(1年生のベテランから見れば、やれることはまだまだ山ほどあるんだろうな。。

あぁ、ベテラン先生のクラスをしばらく張り付いていたい・・・。)

そして、とりあえず今の私の行き着くところは、

やはりユニバーサルデザインだった。

“個に応じる”ではなく、“誰にとっても分かりやすい”デザイン。

思いつくところからやってみる。

(具体的に紹介したいところだけど、いざ振り返ると、これぐらい誰でもやってそう・・・私やっぱり手立てが不足過ぎただけじゃんと思う。だけど、必要性を感じたからやる。自分で気が付いたから作ってみる、というのはよかったな。勉強になったな。)

全体がある程度自分たちで動けるようになったら、個別対応ができるんだよな。

こどもたちは、やっぱりやり方さえ分かっていれば動けるんだよな。

そして、少しずつ分かっていく、できていくんだよね。

全体が動けるようになったら、私にも余裕が出てきた。

“誰にとっても”は、担任も含まれるんだな。

 

まだまだつい大声を出してしまったり、もっと違う言い方できたでしょと

反省する毎日だけど、

少しずつこどもたちのことも分かってきて、こどもたちも変わってきて

何が好きか、何にくいつくか分かってきて

こどもをのせられるようになってきたかも。

運動会の終わりから、少しずつ友達の繋がりができ始めてきてはいたけど

ここにきてまた少し繋がりが広がってきたのも感じる。

「あぁ、なんか私らしいクラスだなぁ。」としっくりくる。

一人ひとりが可愛くて仕方がない。

一年生、可愛いなぁと心から思える(笑)

 

一年かけて、こどもたちと一緒にじっくり、楽しく、面白く歩くこと、

創っていくことを忘れないでいよう。

まさに、私が学級目標を作るときに、みんなに話した

「みんなで船に乗って、宝島(2年生)に向かって冒険だ!

 船長は先生ではない。

 みんな!」

のイメージがピッタリだ。

 

毎年違うこどもたちと船に乗る。

色んな子がいる。

難しくて当たり前。

思い通りになんていかないし、私の思い通りにいくようじゃつまらない人間になっちゃうぞ。笑

船の初めのエンジンをかけること。

船長さんがやる気を出して、生き生きして航海すること。

それが教師の役目。

大変だけど、楽しいんだな。

 

いっぱい可愛がろう。

いっぱい楽しもう。