《つぶやき》「ありがとう」の話。
奥さんが教員ではない仕事をしている同僚の話。
「昔、企業でバリバリ働いていた奥さんが、少しの期間教師をやったことがあるんだけど、
こどもたちや保護者から「ありがとう。」って言われて驚いたんだって。
ただ仕事をしているだけのに、「ありがとう。」を言ってもらえるって。
前の仕事は、どんなに働いても、仕事をするのは当たり前だから
そんなこと言われたことがなかったと。
教師と言う仕事は、「ありがとう。」が言ってもらえる仕事だと気づかされてからは、
ぼくは、よりそのことに見合う仕事ができているか、
考えさせられるようになったよ。」
同じく教員ではない仕事をしている私の夫さんの話。
夫とのとある会話中、
夫「人から感謝される人生を送りたい。」という言葉が出た。
私「そんなこと考えたこともなかったなぁ。教師という仕事柄、いつもたくさん“ありがとう”って言われるからかなぁ。」
夫「“ありがとう”って言うの、そんなの当たり前じゃん。親は、子どもを人質みたいに預けてるようなものなんだから、変なことは言えないよ。」
え?
衝撃だった。
そこまでひどい見方や言い方をしなくても、、、とは思ったけど、
確かに、親は先生に変なことは言えないと感じている人も少なくはないだろうし(「こんなこと聞いていいのかな?」「こんなこと言ったら目をつけられるかな」など)、
立場上、子どもが何かできるようになる機会が多い場面にいるから
“ありがとう”が増えることがあるだけか。
“ありがとう”と感謝されるからと奢ってはいけないなと気が引き締まった。
夫さんみたいな考えをしている人も少なからずいるかもしれないことは
胸に留めておこう。
でも、やっぱり本心で言ってくれている人もいるはず。
私は、保育士さんや学校の先生、学童の指導員の方々に感謝の気持ちでいっぱいだ。
「仕事をする」「役割を果たす」のは当たり前だけど、
仲間が、分担された仕事などをやってくれただけでも「ありがとう。」を言っている。
ちょっとした小さなことでも、「ありがとう。」を伝えている。
一人ひとりが自分の役割を果たす。
それができてチームが回る。
それだけで「ありがとう。」なんだけどな。
一緒に組んでいる先生の一人は、ほぼ初心者で、学級経営方法はもちろん、
事務的な作業も分からないことだらけだ。
どうしても「教えてもらう」「やってもらう」「何かと遅れをとる」ことが多い彼女は
「すみません。」が多くなる。
私は、いつも声を大にして言っている。
「「すみません」じゃなくて、「ありがとう」にしましょう。」
悪いことは何一つやっていないし、できる人ができることをやって当たり前。
初めての人が分からないのも当たり前。(初めてじゃなくても、忘れることもよくあるある)
人それぞれ、できることは違う。
みんなができることをやっていけばいい。
そのことに、感謝する。
学年でもこのことを共通理解し、
“ありが党”を立ち上げた!笑
“ありがとう”なことをされると、お礼(お返し)がしたくなる。
その人のために、頑張ろうと思える。
“すみません”だと、「こんな自分じゃだめだ。なんとかしなくては。」「相手になんとか迷惑かけないですむようにしないと!」と力が入り、空回り。
“ありがとう”は、ぽかぽかなエネルギーで頑張れるからいいな。
おまけの話。
最近(気がつけば?)、私と夫のラインでのやり取りでも
ものすごく「ありがとう」が増えた。
詳しく言うと、夫からの「ありがとう」が増えた気がする。
(「アンガーマネジメント」の本を読む随分前なのに!笑)
家事や育児のやりとりの会話が中心だけど
「◯◯お願い」「やったよ。」「ありがとう」
「◯◯しておいたよ」「ありがとう」
「◯◯してくれてありがよう」
「今はこんな感じだよ。」「教えてくれてありがとう。」
「お疲れ様。今日も(今週も)ありがとう。」
お互い、できることをやっているだけだけど、助け合いってる感、満載。
ちなみに、我が家ではたくにいやいちぼうも「ありがとう」をたくさん言ってくれる。
「ママ、美味しいご飯を作ってくれてありがとう。」「◯◯してくれてありがとう。」
「◯◯買ってくれてありがとう。」
「いつもありがとう。」
幸せだなぁ。
靴に穴が空いていたので(笑)新しい靴を買ったら、
(当たり前なのに)「靴を買ってくれて、ありがとう。」と言われる。
カッコいい靴にすっかり酔いしれるいちぼう。
速く走れる(気になっている)ポーズ。
愉快な時間をありがとう。